Blog for hope ~夢を与えるブログ~

『堂々とサポート&ゲーム感覚の工夫』~私の専属スタイリスト “エリー” ~

2018.10.31 カテゴリー: ( ブログ )

皆さん、こんにちは。
ブログをご覧くださり、ありがとうございます。
大人の発達障害当事者&コーチング講師の和声です。

 

今回は、前回のブログでお伝えしたように、私がどんな人と出会い、どんなサポートを受け、どんな工夫をしながら仕事や暮らしを生きてきたか?を具体的に書いてみたいと思います。

ネタは、書ききれないほどあるのですが、まずは一番最初にサポートしてもらって激変したことから。

 

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①私の専属スタイリスト、エリー
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私の父は地元の衣料品屋さんを営んでいましたが、私自身はファッションや見た目には全くの無頓着な女の子でした。
中学1年生のときには160㎝で72㎏になり、子供ながらにマタニティを着なければならないほど。。(^_^;)

そんな私は、服装ではTPOが分からないどころか、実は季節などでどの様な服装でないと体調を崩してしまうのか?も分かっていませんでした…。
(私にとっては理解しにくい『暗黙の了解』の1つだったのでしょうね。)

なので、講師として信頼され、安心してお仕事を任せたい、この人に話を聞いてほしい、などと思ってもらえるような第一印象を作ることは夢のまた夢。

 

そもそも、
・夏にさしかかっても厚手の服で熱中症
・冬場にコートがなくて風邪をひく
など、お洒落どころか、四季のある日本で健康を維持して生きていくのにも難しさを感じていました。

 

そんな2008年。
今一緒にw&hをさせてもらっているエリー(スタイリストコーチの東畑里恵さん)
と奇跡の出会いがありました。

 

当時、まずスタートしたのは…、

【『分からない(ファッション)こと、苦手なこと』は、

『出来るひと、得意な人、プロの人』に
任せよう!

そして和声は、和声にしかできないこと、和声の出来ること、得意なことに集中しよう!】
でした。

 

『ファッションに関して、もう悩まないでいいよ!』
と言ってくれたエリーの言葉に、訳も分からさず心底ほっと安心したのを、今でも覚えています。

 

具体的には…、
・お買い物は、同行してもらう。

・目的ごと(講座、研修、打ち合わせ用に、対象者別に)に、イラストでパターンを書いてもらい視覚化。

 

特に、助かったのは、
①どんな組合わせになっても、
『仕事上でも最低限おかしくはないファッション』になるように、手持ちの洋服とも考えて常に提案してくれていた。

②同じ講師という仕事でも、対象者別に、など印象と季節、体調に合わせて、何と何を着て、どんな靴、アクセサリーにするか、毎回聞いて教えてもらうことができた。(エリー直筆!特製カラーイラスト☆)

 

どうして、エリー直筆の特製イラストになったのかと言うと、着るものに興味がない私は、ファッション用語の素材や種類の名前で『綿の~~』『~色のカットソーの』『カーキ色の~』などでセットを教えてもらっても一向に覚えられず、ちんぷんかんぷん。(>_<)

そんな私にも分かるように、と書いてくれ、更にそれでも覚えられないときは、例えば、友達に褒められたエピソードで覚えているスカートを、
『(私の友達の)けいこちゃんが好きなスカート』、
私のこだわりの感覚である触覚で『ツルツルのヒラヒラのついたブラウス』
など、≪和声語≫に変換して話してくれていました。

 

今回ご紹介したのはほんの一部ですが、このように沢山のサポートと工夫によって、服装に対する『これでいいのかな…?』という漠然と、しかし大きな大きな不安から繋がる人前に出る緊張や自信のなさが、減っていきました。

 

特に、ファッション、外見は人から褒めてもらうことも多くなります。
コーチングでは認められる、褒められることも承認のひとつで、自己イメージや自信がどんどん上がっていきやすくなります。

 

私が講師として自信をもって活躍できるように、
講座内容とは関係ないところでマイナスにならないように、
受講生さんやお仕事相手の方の不安感を作らないで済むように、、

エリーはそんな願いを込めて、ファッションだけでなく、私のお仕事、人生、未来も含めた≪半歩先の私≫を実現してきてくれたのだと改めて気付きます。
自慢のスタイリストさんです!

服装へ興味もなかった私が、お洒落を怖さから楽しさへ変化できる工夫を、8年もかかってずーっと楽しんでくれていたエリーに感謝感謝です!

またいつか、エリー側から見た当時の様子などインタビューしてみたいものです。
その時はまたここで書きたいと思いますので、どうぞお楽しみに♪

 

②一番苦手なITをサポート、IT’Dr
③大活躍アイテム、スマホのアラーム

あとはこんなこと↑も書こうと思ってましたが、長くなったので、今回はこの辺で。
次回は、これまた大の苦手だったIT関係についてご紹介します。

『本当はどうしたい?』

2018.09.27 カテゴリー: ( ブログ )

皆さん、こんにちは。
ブログをご覧くださり、ありがとうございます。
大人の発達障害当事者&コーチング講師の和声です。

9/23は秋分の日でしたね。
秋分は、春分の日からちょうど半分。
昼と夜の長さが同じになる日です。

今年の夏は、猛暑から大雨、台風、地震など各地で大きな被害が続いた夏でした。
皆さま、大切な方々含めご無事でしたでしょうか。少しでも早い復旧を祈っています。

そして…私の周りでは、天候だけではなく心も身体も、荒れたり疲れたりする人の多かった印象ですが、大きく荒れる日々も、月末や季節など、節目、節目で、

『今日で終わり』

そしてまた、
『終わりは、はじまり』

と、気分を新たにしたいですね。
私も、『10月はどんな月にしたいかな?』と
10月のテーマ≪ゆるゆると、自分に正直に≫をスケジュール帳に書き込みました。

 

さて、今日は幼少期から少し飛んで、
私が鬱病を発症した20代の頃のお話です。
テーマは≪働く≫

鬱病は、今から思えば、発達障害の二次障害のひとつであり、現在の双極性障害の症状のひとつでした。
当時は、発達障害も双極性障害も全く予想だにせず、ひたすら

『自分は仕事が出来ない』

『自分はダメだ、努力が足りない』

『仕事が出来ない=生きていけない』

と生死をかけたような悲壮感でお仕事をしていました。

 

鬱になり、休職を繰り返しながら、幼い子も抱え生活のために完治しないまま、騙し騙しの復職 。
そして、鬱から、パニック障害、自律神経失調症へ。
毎日、頭痛が酷く、頭痛薬が手放せませんでした。
5時間たって鎮痛剤が切れると我慢できずに吐いてしまう痛み。
最後は、酷いめまい状態になり職場のトイレで吐き続け、売り場(デパートの喫茶店や販売業をしていました)に戻れなくなり、限界…退職。

転職も色々しましたが、年々悪くなり、31歳には半年ほど寝たきり、引きこもり状態になっていました。

 

今思うと、
『皆のように出来ない自分は生きていてはダメだ!』というレベルで自己否定し続けていたので、実は仕事が上手くいかないときだけでなく、
『仕事が上手くいって認められた時』も、鬱はどんどんと悪くなっていきました。

何故かというと、
仕事が出来たとしても、そもそもの【前提】が、数々の失敗や怒られ続けた挫折経験から

【前提】
本来の私
=仕事が出来ない
=ダメな存在(と強く思い込んでいる)

なので、どんなに仕事が出来ていたり、周りから認めてもらったとしても、
『今は出来ていても、いつか仕事で失敗したら、ここ以外私なんてどこも働くことは出来ない=生きていけない!』
という焦りが強く、ますます辛さが募っていきました。

 

仕事の辛さは、私の場合、今お話しした『自己肯定感の低さ』や、
仕事で失敗したときのトラウマ、
仕事が特性に合うか合わないか、
人間関係、、などなど
様々な要因がありました。

 

15歳から定時制高校に通いながら、働きだし、今年で社会人になってから27年。
産休と鬱での休職をひいても四半世紀になりました。
それでも勤続は最長で4年、早いときはうつの再発で数週間で退職などもあり、不安定に転々としてきました。

団体の代表はさせていただいたことはあっても、正社員になったことは社会人人生27年のうち一度もありません(笑)

名古屋だけでなく、豊橋や岐阜県大垣などでも毎月お仕事させてもらったり、出張で東京や長野にも当たり前に行けるようになった今でも、実は、
(月)~(金)9時~18時、いわゆる週5日連勤の8時間勤務だと1~2週間ほどで、鬱が再発してしまう自信があります(笑)
体も心も、追い付きません。

 

しかし、考え方は大事ですね。
『普通には働けない』のか、
『人とは違う働き方なら働ける』のか。

『ストレスで吐いて辛い』のか、
『吐いてしまうこともあるけれどデトックス!スッキリ!おかげでよく休めた』なのか。

暖かな考え方(コーチングでは肯定的な視点、味方の立場)をしてくれる人との出会いと、コーチングを学ぶことで、私の場合は自分への目線が人生で初めて優しくなれました。

 

やっと、今までの自分を、

『なぜ、こんなに自分を殺すほど苦しんでまで働いているんだろう』

と思うことができました。
そして、自分をもっと(あの頃に比べたらマシ、とかではなく)本当に一番望む幸せにしてあげたくなったので、

 

『本当はどうしたい?』
と何度も何度も自分に聞きました。

 

思えば、この質問は10年以上前に一番最初のmyコーチが問いかけてくれ、答えられずただただ泣けたときと同じ質問。
忘れられない人生を変えてくれた質問です。

働くときの選択基準は、もちろん色々ありますし、立場によって変わります。

子どもが小さいときは、
『子どもと笑顔で暮らすため』に働きたかった。

鬱になったあとは、
『自分が働きたいと思える仕事か?』
『自分が元気に幸せに働けるか?』
です。

 

そのためには、

 

①特性を否定しないで理解し
②言語化し、
③配慮だけでなくこちらの工夫も具体的に伝えられ、
④自分らしく特性も生かして出来るお仕事とやり方を見つけること

がとても大事だったのだと思いました。

 

そして、私の場合コーチングアカデミーに入校したときの選択基準も『人』で、
どんな人といるかも大切です。

もっといえば、
『自分を大切に、幸せにするために、誰といるか?』
『どう関わる(離れる)か?』なので、『人』が大事なのかもしれません。

確かに転職、退職を繰り返し、31歳には鬱で寝たきりになるほど、就労困難者だった私。
その私が、今こうして発達障害も双極性障害もオープンにしながらコーチや講師のお仕事をさせてもらえるのも、沢山の方に助けられ、細かな工夫から上手くいく方法の発見を積み重ねてきたから。

 

次回は、どんな人と出会い、どんなサポートを受け、どんな工夫をしてきたか。

◾️私の専属スタイリスト、エリー
◾️一番苦手なITをサポート、IT’Dr
◾️スマホのアラーム大活躍!

など、身近なところからお話しようと思います。どうぞお楽しみに♪

 

では最後に。
もしも、今、働くことに悩み苦しんでいたり、これから働くことに大きな不安をもっている人がいたら、私の人生が変わった3つの質問を贈りたいと思います。

 


『自分をプラスの気持ちにさせてあげられているかな?(感情)』

『本当はどんな感情を、働くなかで味わいたい?』

『どんな時に味わうことがある?どうしてだろう?何が大事だから?』

 


『心地よく(身体も心も健やかに)働けているかな?』

『本当はどうしたい?』

『どんな働き方だったら心地よく健やかに働けそう?』
『もしも何でもできるし、していいとした。何をしたい?何をしない?』

 


『心地よく働くことで、心地よく暮らせている?』

 

質問から人生が、変わります。
あなたの人生も、あなたの大切な人の人生も、自分らしい幸せで溢れますように☆

車に跳ねられたことは何回ありますか?

2018.08.31 カテゴリー: ( ブログ )

皆さん、こんにちは。
ブログをご覧下さり、ありがとうございます。
大人の発達障害当事者&コーチング講師の和声です。

これからブログでは、
・私の発達障害の特徴

・どうやってコミュニケーション(コーチング)講師になったのか

・日々の仕事や暮らし方の失敗談と工夫

・メンタルや体調のアンバランスさのバランスの取り方

・コミュニケーションについて

などなど、当事者の視点からお届けしていきたいと思っています。

ということで、今日のテーマは
車に何回ひかれたことがありますか?

ちょっと衝撃的すぎて発達障害の方からもそこまで共感されないのですが、自己紹介ではよくお話しする鉄板エピソードです。

そもそも、発達障害は子どもの頃からの先天性の障害ですが、私が診断されたのは、5年前。37歳の時でした。

私の場合、発達障害のADHD(注意欠陥多動性障害)と、二次障害の双極性障害が診断されました。

普段、有り難いことに、多くの人から自然な支援(理解してもらう、助けてもらう、その為に私も言語化する、伝える)を循環させながら、かつ長年のトレーニングの上でとはいえ『コミュニケーション講師』なんて仕事をしてさせてもらっているので、

『私も発達障害当事者なんですよ』

と伝えると、ほぼ100%で言われるのが、

『発達障害に見えないですね!』

だったりします。

発達障害は、目には見えない、見えにくい障害。
なので理解してもらいにくい、誤解されやすいからこそ、言語化していくコミュニケーションが大事なんですよね。

とはいえ、時間の限られた自己紹介で長々とは話せないので、たった一言で『発達障害なんだね!』と理解してもらいやすのが、私の場合、
子どもの頃からのエピソード【車に6回ひかれてます】なんです。

私はADHDの特徴で、道を歩いていても、自転車に乗っていても、集中しすぎて視野が狭くなっていたり、突発的にぱっと動いてしまう特徴があるので、よく事故にも合うし、 10年に一度くらいは階段から 真っ逆さまに落ちたりしています。

車に6回引かれたのは…
一番最初は幼稚園。迎えにきた母の車にひかれ(母も私と似ていたのかもしれませんね)

10代 では中学生で1回。
高校生で1回。
(小学生の間は名古屋では集団登校というのがあるので無事故でした)

20代には2回。
しかも両方とも妊娠中。。
長男と次男、それぞれの妊娠中にひかれています。

そして30代でも1回。

決して当り屋ではないのですが、どの年代でもまんべんなくひかれていますね。

こんなにひかれているのに、一度も骨折や入院もなく、もちろんダメージはあるのですが、命があって上手にひかれてて運が良かったです(苦笑)

やっぱり、障害なので見た目には分かりにくくても、日常に支障が(時には危険なことも)あったりします。

それでも、自分の工夫だけでなく、周りからの理解やヘルプ、環境の構造化や、ITなどの道具も使って、障害も大切な自分の一部で一生一緒に生きていきながら、
やりたいことも諦めず、自分らしく生きていきたいと思います。

W&H統括事務局
TEL:052-217-1229 Mail : kibou-negai@wish-and-hope.com Add: >>GoogleMap