車に跳ねられたことは何回ありますか?
2018.08.31 カテゴリー: ( ブログ )
皆さん、こんにちは。
ブログをご覧下さり、ありがとうございます。
大人の発達障害当事者&コーチング講師の和声です。
これからブログでは、
・私の発達障害の特徴
・どうやってコミュニケーション(コーチング)講師になったのか
・日々の仕事や暮らし方の失敗談と工夫
・メンタルや体調のアンバランスさのバランスの取り方
・コミュニケーションについて
などなど、当事者の視点からお届けしていきたいと思っています。
ということで、今日のテーマは
『車に何回ひかれたことがありますか?』
ちょっと衝撃的すぎて発達障害の方からもそこまで共感されないのですが、自己紹介ではよくお話しする鉄板エピソードです。
そもそも、発達障害は子どもの頃からの先天性の障害ですが、私が診断されたのは、5年前。37歳の時でした。
私の場合、発達障害のADHD(注意欠陥多動性障害)と、二次障害の双極性障害が診断されました。
普段、有り難いことに、多くの人から自然な支援(理解してもらう、助けてもらう、その為に私も言語化する、伝える)を循環させながら、かつ長年のトレーニングの上でとはいえ『コミュニケーション講師』なんて仕事をしてさせてもらっているので、
『私も発達障害当事者なんですよ』
と伝えると、ほぼ100%で言われるのが、
『発達障害に見えないですね!』
だったりします。
発達障害は、目には見えない、見えにくい障害。
なので理解してもらいにくい、誤解されやすいからこそ、言語化していくコミュニケーションが大事なんですよね。
とはいえ、時間の限られた自己紹介で長々とは話せないので、たった一言で『発達障害なんだね!』と理解してもらいやすのが、私の場合、
子どもの頃からのエピソード【車に6回ひかれてます】なんです。
私はADHDの特徴で、道を歩いていても、自転車に乗っていても、集中しすぎて視野が狭くなっていたり、突発的にぱっと動いてしまう特徴があるので、よく事故にも合うし、 10年に一度くらいは階段から 真っ逆さまに落ちたりしています。
車に6回引かれたのは…
一番最初は幼稚園。迎えにきた母の車にひかれ(母も私と似ていたのかもしれませんね)
10代 では中学生で1回。
高校生で1回。
(小学生の間は名古屋では集団登校というのがあるので無事故でした)
20代には2回。
しかも両方とも妊娠中。。
長男と次男、それぞれの妊娠中にひかれています。
そして30代でも1回。
決して当り屋ではないのですが、どの年代でもまんべんなくひかれていますね。
こんなにひかれているのに、一度も骨折や入院もなく、もちろんダメージはあるのですが、命があって上手にひかれてて運が良かったです(苦笑)
やっぱり、障害なので見た目には分かりにくくても、日常に支障が(時には危険なことも)あったりします。
それでも、自分の工夫だけでなく、周りからの理解やヘルプ、環境の構造化や、ITなどの道具も使って、障害も大切な自分の一部で一生一緒に生きていきながら、
やりたいことも諦めず、自分らしく生きていきたいと思います。
『迷惑』
2018.06.24 カテゴリー:詩 ( ブログ )
私の気持ちや、私のメール、私の存在は、迷惑だ。
って、いつから、思ってるんだ?
なんで、そんなこと、思い込んだ?
迷惑なんかじゃない。
私は、ここにいていい。
一緒に、いていい。
恥ずかしくない、恥さらしなんかじゃない。
私は、一緒にいてほしい人だ。
私は、他の誰とも違う、ただひとりの誇りある私だ。自慢の私だ。
なんで、私のことを迷惑なんだっ…て、
そんな悲しすぎることを信じるようになったんだろう。
いつから、どこから。
「発達障がい女子中学生の苦悩 ~私はどんな存在?~」
2018.06.24 カテゴリー: ( ブログ )
いつもありがとうございます。
和声です。
今日のブログは、いつも少し違って、詩のようなものを書いてみました。
これを書いたきっかけは、
ある女の子と過去の私が重なって見えたからでした。
ある時、中学生のその子に、私はこんな質問をしました。
『⚪️⚪️ちゃんは、お母さんにとって、自分はどんな存在だと思う?』
これは、自分が自分をどのようにとらえているか、自己肯定感なども分かる『自己イメージ』を聞いてみた質問でした。
そこで、その子が答えてくれたのは…。
『私は迷惑な存在』
『私はいない方がいい存在』
その子も発達障害があり、その時は落ち着いて話すことや聞くことが難しそうな状況でした。
そして学校でも、人と違うことで生徒同士だけでなく先生ともトラブルが多発。
家庭でも、愛情深い親御さんではあるけれど、その分深く悩まれ、親の笑顔よりも不安そうな顔で注意されることばかり見てきたようでした。
出来ること、出来ないこと。
いろいろありますね。
人と違うことは、悪いことじゃない。
違いで、悲しんで苦しむか。
違いで、楽しんで面白がるか。
私達は、どちらも選べる。
私達は、どちらも経験できる、味わえる。
『皆さんは今、自分のことをどんな風に思っているでしょう?』
『皆さんの大切なあの人、あの子は、自分のことをどんな風に思っているでしょう?』